「過程」こそ「経験」 -緊急事態宣言35日目-
映画「ドーハ1993+」を見てからこの試合を見たが、映画で語られていた「異様な雰囲気」や「北澤を出せ!」という選手たちのベンチサイドへのアピールは、実際の試合映像を見ただけでは、あまりわからなかった。
というより、フルマッチを初めて見たからそこまでを見る余裕がなかったのかもしれない。
過去の試合で、結果はわかっていても、試合の緊張感は生々しいもので、選手同士のバチバチしている感じがとてもよく伝わってきて、今の代表選手に見られるような、選手からの笑顔が見られることもなく、当時の壮絶さが伝わってくる。
井原さんはインタビューで「まだ時間はあったけど諦めてしまった」ということを語っていたけれど、意外と僕のイメージよりも、最後の失点のタイミングが早く、確かに、言われてみれば立ち上がればあと2、3分できたんじゃないか?という感覚は理解できなくもない。
ただ、アジアで最も強いといわれていた相手に2回のリードを奪い、最後にまた追いつかれて、まさに死力を尽くしているようなプレイヤーたちを見て、立ち上がれ、とはさすがに言うことはできないなと思った。
映画「ドーハ1993+」では「ドーハの悲劇」のことを、選手たちは「経験」と呼んでいた。
「その後の人生を生きることで、どんな出来事もプラスに変換できる」ということだろう、という風に捉えていた。
そして、試合を見ていて、それだけではないことに気づいた。
それは、「全力を出さなければ、それは経験にはならない」ということかもしれない。つまり、「手を抜いて臨んだ結果を得てもそんなに人生での財産にはならない」ということの裏返しかもしれない。
僕の生後2ヶ月で行われていた試合だったけれど、「全力で取り組んでというプロセスが、目先かその先かわからなくても、それが人生の財産になる」ということを学んだ気がする。
精神的な部分で、人生の法則に気づかされたような、今でもサッカー史に残る27年前の戦いだった。