Who Are You? 〜フォード VS フェラーリを観てみた〜

映画「フォード VS フェラーリ」を見ました。

モータースポーツの映画は高校生のころに観に行ったアイルトン・セナのドキュメンタリー以来。ニキ・ラウダジェームス・ハントのストーリーが描かれた「RUSH」は自宅鑑賞だったので、ドキュメンタリーでないモータースポーツ映画を映画館で見るのは初めてだと思います。

 


前評判は高かったものの、上映153分であまり詳しくない60年代の自動車業界やルマンの話ということで、楽しめるかなあという緊張もありましたが、全身食い入るように、五感フル稼働で153分見ることができました。

 


個人的な好きなポイントは以下の3つです。

①60年代のアメリカの風景や音楽

②迫力のレースシーン

③現代人・組織人への問いかけ


①60年代のアメリカの風景や音楽

この映画の舞台は60年代のアメリカで、フォードが打倒フェラーリを掲げてルマンに挑む姿が描かれています。ルマンはフランスのレースですが、開発はアメリカで行うので、登場人物の描写で背景に60年代のアメリカの風景が描かれて、要所要所にアメリカのロックンロールが流れます。背景でありBGMなので、ここがメインではないですが、街や走っている車などが独特の色合いで、ワクワクして、当時の荒削りな感じの音楽とも相まって、見ているだけで、タイムスリップしているような感覚になり、実際、1週間ぐらいならこの時代のアメリカ行ってもいいなあなんて思いながら見ていました。

 


②迫力のレースシーン

映画館の大画面で見ると、やっぱりレースシーンの擬似体験の感覚が強くなって、ハラハラドキドキ。当時のモータースポーツは、人権よりも速さが優先(と、個人的には思っています)されていて、F1も毎年エントリーするドライバーで1人か2人はシーズン中に事故死しているような時代で、同じ時代のルマンも今より安全性は低いので、見ていてドキドキすします。ドライバー目線の映像もあり、のめり込みすぎて思わず、「あぶなっ」と言いそうになることも何度かありました。

特に、クライマックスとなるルマン本番のシーンは30分ぐらいあったと思うので、没入感はかなりのものになります。

 


③現代人・組織人への問いかけ

60年代のルマンドライバーと現代人。一見、なんの共通点もなさそうですが、僕は2つ共通点があるのかな、と思い、そこがこの映画が今作られ、話題になっているポイントなのかなと思っています。

 


1つ目は、「超人的なスピードを操る」という点です。

当時のフォードのルマンカーは、ごちゃごちゃとエアロパーツがついているのでなく、とにかく空気抵抗を減らして直線の時速を稼いでいこうというとてもシンプルで無駄なものが取り除かれた洗練された印象を受けて、個人的にとても美しいと思っています。

その結果、直線のスピードは当時250km/hを超えていて、当然ドライバーには超人的な能力が必要になります。翻って、現代人もいよいよ2020年には5G回線を誰もが使う時代になります。

4G回線の100倍(色んな計算方法があると思いますが、いくつかの記事を見て100で書きました)の速さの回線を使うことで便利になる反面、いつでもどこでも好きな情報を取ることができるということは、「いつでもどこでも自分中心」状態を作ってしまい、フラットな目線を持つことが難しくなるのではないかと個人的には懸念しています。

自分の好きな情報、自分の身の周りの人たちの狭い話題だけで日々を過ごすと、「速すぎる世界」において、「よのなかの中の自分」「社会の中での自分」の立ち位置を失い、気づけば時間だけが過ぎるような感覚を持ってしまうのではないかと、当時のドライバーと現代の共通点を探してふと思いました。深読みしすぎかもしれませんが。

 

もう一つは、組織人としての振る舞いです。モータースポーツは究極のチームスポーツだと僕は思っています。例えば、運転する瞬間のドライバーは1人だから個人競技に見えがちですが、実際は、クルマの開発、整備、そしてチームの資金力が勝敗を左右する比率のかなりの部分を他のオリンピックスポーツよりも多くを占めていると思います。年間で一度も入賞しないシーズンを過ごすモータースポーツチームも珍しくなく、サッカーや野球の選手がフィールド上で何とかできる割合よりもドライバーができることは限られているように見えます。

そして、何より開発者、整備士に命を預けている感覚も他のスポーツとは比べ物にならないと思います。

そのため、1人で戦っているように見えても、実際はチームで戦っている色が濃く、チームプレーが要求されます。

クライマックスでは、チームの夢を取るか、個人の夢を取るかという選択を迫られるシーンがあります。

チームと個人のベクトルが最初から最後まで全て一致しているようなことの方が社会に出ると少なく感じるので、最後のシーンは「どっちとるんだ?」「自分だったらどっちだろう」と考えさせられます。

 


ストーリーを通して、主人公が語りかけるのが、

極限までのスピードが出て、全てが消えたとき、こう問われる。

「Who are you?」お前は誰だと。

現代の組織人も、人類史上最速で情報にアクセスできる社会で、

個人の取ることのできる選択肢が増えたこの時代だからこそ、

自分が何者なのか、常に問われていて、1960年代のルマンのドライバーと、遠いようで実は同じなのではないかと感じました。

 


モータースポーツの好きなところは、「結局、人間はどこまで行っても人間で、最後は人間が決める」という点で、テクノロジーの集積のように見えても勝負を決するのは人間的なところなのが、面白い点だと考えています。

どれだけすごいテクノロジーを詰め込んでも脱水症状でリタイアがあったり、チームメイトとのいざこざがあったり、天気には勝てなかったり。

 

速さの迫力と人間性というモータースポーツの魅力が詰まっていて、見ていて楽しくも考えさせる映画で、ハイスピードで戦う彼らも、超高速な情報化社会を生きる僕らも、結局人間はどこまで行っても人間なんだなという点に気づかされました。


今度見るとしても大きいスクリーンで見たいなあ。

 


Hayato