やっと見られたシン・ゴジラ -緊急事態宣言6日目-


ここ2週間ぐらい、ずっと見たかった「シン・ゴジラ」が見られた。

 


前代未聞の非常事態に立ち向かう国家の姿に、今の日本と重なり合う部分を記憶から感じていて、見ようと思っていた。鑑賞記録を見ると、1年半ぶりの鑑賞だった。

 


見る前にも、そもそも、今の状況に対して、リアルに最前線で戦う人たちのことを見ることはできないけれど、少なくとも僕が今、最前線で戦う人たちがそもそもいるという意識を持てていて、僕は普通じゃないけれども生きていられるのは彼らのおかげなんだと思うことができているのも、この映画の記憶があったからだ。

対策本部に寝泊まりして、カップラーメンを食べながらデータと睨めっこし、自身の叡知と身体を国ために尽くしているような人たちが今も必ずいるということを、この数週間の異常事態を過ごすなかで想像していられたことは、もしかしたらこの映画を見ていなかったら、考えるにも至らなかったかもしれない。

 


よくも悪くも政治は心なんだよなあとこれを見て実感した。

こんな非常事態でありながら、ポストの話がたくさん出てくるし、対策本部チームはチーム招集の段階で、「縦関係を気にしないように」という注意が発せられる。

今もきっと永田町では、政局の話や時期衆院選の区割りの話が活発化しているに違いない。僕だって、次の衆院選の投票先を特にここ1週間でどうしようか、少なくともいつもよりは考えている。

心で政治をしているという意味でいえば、首相の初期対応には迷いや怒りを感じる。

「そんな特例今まで出したことない」とか「市民生活を根こそぎ奪うことになってもいいのか?」など、まさにここ2週間ぐらい似たようなセリフを聞いた気がする。

核兵器を使うという手段を使うか使わないかというところも個人の心がよくあらわれている場面だったと思う。個人的な思い入れ、血筋で、大きな決断が下されているのは興味深い。

 


最後は「スクラップアンドビルドで日本はのし上がってきた国だ。必ずまた立ち直れる」というセリフが出る。初めて見たとき、とても感銘を受けたセリフだけど、きっと制作していた人たちも見た人たちもこんなに早く緊急事態宣言が出るほどのスクラップが来るとは思ってもいなかっただろうなと思う。

「これからはゴジラと共存する時代がやってくる」とは、まさしく『コロナと共存する時代』とそのまま当てはまりそうで、ゾッとした。コロナが完全になくなるのでなく、共存していく生き方、国のあり方は考えないといけない状況になるので、とても示唆的だった。

彼らはひと段落したら内閣総辞職をしてからの解散総選挙でゼロベースで機能しなくなった首都機能の再建を図るけれど、今の日本はどうだろうか。現政権は2021年10月の衆院任期満了まで引っ張って、忘れっぽい国民性に淡い期待を抱いているような気がして危機感を持っている。(かといって、今解散するのはえげつなさすぎるのでやめてほしいが。)

 


今の日本との共通点を探しながら見ようとしたけれど、とにかく全てのセリフが作り込まれている感じがして、おもしろかった。

 


見えていないゴジラとの戦いが今の日本、世界の戦いかもしれない。

収束まで、市民のできることは限られているかもしれないけれど、スクラップの後のビルドは僕たち市民にかかっているんじゃないかと思い、今はそのときを待ちつつ、今この瞬間も最前線で収束に向けて戦っている人々に祈りを捧げたい。

 


Hayato