「パッドマン」見てみた

久々にインド映画を見た。

 

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今年、日本の映画館で上映していたと思うけど、

早くもNetflixで配信していたので、台風の自宅待機を機に鑑賞。

 


上映時間が143分という記載があり、

長くて集中できるかなぁと見始めて、

オープニングから、がっつりBollywood Popに乗せたオープニングが5分ぐらいかかり、

これ短くできたんじゃね?とか先が思いやられるようなテンションで見始めたものの、

見終わったときには「魂揺さぶる最高の映画だ!」と心から思う時間を過ごした。

 


生理用品を2001年ごろに開発したインド人男性の話だというぐらいの認識で見始めてはいたが、

自分が予想していた苦難の道とは幾分か違っていた。

 

予想していたのは、社会を動かす大変さ、ビジネスの大変さ、

それをインド社会で行うからこそ起こりうる色んな障害を描くのかということ。

 


もちろん、そういった側面もあるが、

もっと大きかったのは、日本に住む自分も感じるような、

何かをしようとするときの身近な人々の理解を得る難しさという部分だった。

社会を動かすというと、スケールの大きな話に聞こえるが、

まずは周りの理解がないと、困難さが増してしまう。

しかも、凝り固まった慣習に対して、正義や論理はときに無力で、

知らないから、変わりたくないからという深層心理から、拒否反応をされることが多い。

 


身近な人がクレイジーになったら、

普通はやめときなって言いたくなっちゃうことが多いのかもしれないけれど、

一旦、そこに正義や論理があるのか、まずは冷静になって聞くことのできる人間がいかに大事なのか。

そもそも僕もクレイジーなことを言ってきて、受け入れてくれた人がいるから今なんとか生きてこられているようなものだ。

 


社会を変えるモチベーション、

愛と勇気、久々に聴く刺激的なBollywood Pop、

見て感じるところは色々とあると思うけど、

僕は「誰かのクレイジーに寄り添うことの大切さ」を最も感じた。

 


クレイジーの先にある救われる命や笑顔を想像しながら、

友達のバカ話に全力で応える自分でいたいと思う。

 


もちろん、自分がクレイジーでいることも心に秘めながら。

 


Hayato